京都の通りをデザインする                                                           公益社団法人京都デザイン協会

三条通りを中心とした新たな京都観光の姿

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4、 三条通りと交差する河川と運河

それぞれの河川の流れ、水面、水際、川風など、都市と自然との接点が三条通りの魅力を高めている。

○四ノ宮川

  • 大津市から山科四ノ宮へ流れる、山科川の支流。やがて山科川左岸に注ぐ。
  • 旧三条通では川幅2mほどで、三面張り、水量豊で、透明度は高く、小魚を散見。
  • 橋はコンクリートの欄干。近くに山科地蔵を祀る徳林寺がある。

○安祥寺川

  • 山科区安祥寺山などから水を集め、毘沙門堂脇を南流、山科盆地に出てからは山科市街地を貫流、旧三条通、三条通を経て山科川右岸に注ぐ。

○琵琶湖疎水

  • 琵琶湖疏水は、第1疏水(1890年に完成)と第2疏水(1912年に完成)を総称したものである。
  • 両疏水は、水道用水、水力発電、灌漑、工業用水、水運などに使われる。
  • その電力は日本初の電車(京都市電)を走らせるために利用され、さらに工業用動力としても使われて京都の近代化に貢献した。
  • 水運は、琵琶湖と京都、さらに京都と伏見・宇治川を結んだ。
  • 蹴上付近では、浄水場やインクライン、発電所が観られる.

○白 川

  • 大津市山中町の山麓(俗に「白川山」)に源を発し西へ流れ、鹿ヶ谷付近で南西に転じ、
  • 南禅寺の西側で琵琶湖疏水を併せる。
  • 神宮道の西で琵琶湖疏水と分かれ、三条通を南下し、四条通の北側で鴨川に合流する。
  • 三条通以南は両岸に道路があって、散策しながら柳並木と水面のせせらぎが絶景である。

○鴨 川

  • 上賀茂神社、下鴨神社脇を南南東に流れ、賀茂大橋手前で高野川と合流する。
  • そこから京都市内を真南に流れ、三条通を南下し、四条大橋付近から南西流に転じ、伏見区下鳥羽で桂川に注ぐ。
  • 三条通近辺では夏季になると河原での散策や納涼床を楽しむ人で賑わう。

○高瀬川

  • 江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である。
  • 二条大橋の南で鴨川西岸を併走する「みそそぎ川」(鴨川の分流)から取水する。
  • 二条から木屋町通沿いの西側を南下し、十条通の上流で鴨川に合流する。
  • 三条小橋付近は川のせせらぎと川沿いの柳並木が川風を伴って心休まる景観となる。

○堀 川

  • 平安京造営にあたって、近くの自然の川を改修して堀川小路に沿う運河としたのが堀川の起源である。
  • 現在水流は暗渠化されており、地表に水流は見られない。ただ、今出川通の南で河川が現れるがほぼ水流なし、押小路通から南は再び暗渠となり鴨川と合流する。従って三条通では橋すら無い。

○天神川

  • 鳴滝の沢山東麓に発し、北野天満宮の西方を南進する。花園付近御室川を併せ、西高瀬川と交差。
  • 御室川合流から西京極まで天神川通と並行してさらに南流し、南区吉祥院下ノ向町で桂川に注ぐ。
  • 「天神川」の名は、中流で北野天満宮の西を流れていることによる。
  • この付近の三条通は交通量が多く人通りも少ない。橋から川の流れを楽しむ環境になっていない。

○有栖川

  • 嵯峨大覚寺北方の観空寺谷から渓流となり,下嵯峨を経て嵯峨野で西高瀬川と交差し,そのまま南下して桂川に注いでいます。
  • 有栖川の「有栖」とは、荒樔(あらす)荒瀬(あらせ)の意であり、祓(はらい)を行うところのことである。
  • この付近の三条通も交通量の割に道幅が狭く、橋から川を望む環境が出来ていない。

○瀬戸川

  • 百人一首等で有名な小倉山の北方の渓谷を水源とし,嵯峨鳥居本から曼陀羅山の南麓を経て,京の代表的観光地”嵯峨野の里”を縫うように流れ,清涼寺釈迦堂の東を南流して,清流が桂川に注いでいます。
  • その名前は,後嵯峨上皇の亀山殿の一院,芹川殿が瀬戸川のほとりにあったことから,古名”芹川”とも。
  • この付近は雄大な桂川に眼を奪われますが、橋から足許を見ると西高瀬川との立体交差など楽しく微笑ましい。

○桂 川

  • 平安京造営の時、現在の右京区京北町の木材を京都に運搬するなど、桂川の流れは丹波と山城、摂津の木材輸送によく用いられた。17世紀に角倉了以が桂川を開削し、現在の丹波町から下流の淀や大坂まで通じ、船運が発達した。三条通から広い河川敷を通しての渡月橋、嵐山の眺望は広々として美しい。

○西高瀬川

  • 大堰川によって運ばれた丹波地方の木材などを、京都側の終点である渡月橋上流から、市中心部に直接引き込むための運河として、1863年に渡月橋上流〜千本三条が開削された。
  • 後、明治3年(1870年)、当時の京都府が引き継ぐ形で伏見の鴨川まで開通させる。
  • 水運の役割を終えた今も、嵐山近辺では水流豊かに流れて近隣の街を潤している。しかし、天神川以東は水流も少なく、特に千本通付近では川床も深くゴミなどが放置され、美しくなくなっている。